英語習得までの道のり

興味と目標を持ち、努力を楽しむ


ここでは私がいかにして英語を習得していったかについて、その道のりをお話ししようと思います。ご興味のある方はぜひ長文にお付き合いくださいませ。

(1)英語との出会いと学生時代の決意

僕の英語との出会いは小学校の時で、近所の個人宅でやっていた英語教室に友達が通っていると聞き、自分も行ってみたいと一瞬だけ通ってみたことが最初だったように思います。でも、基本的には周りと同じように中学校に入ってから英語を学び始め、小学校のその一瞬の経験もあってか特に英語にアレルギーを感じることはなかったものの、中学、高校と英語に関しては可もなく不可もなく、大学受験でも得意科目とは言えない生徒でした。

今思い返すと、中学生の時に親からクリスマスプレゼントにもらった The Beatles のアルバムを聴きながらハリーポッターを読み耽ったことが、イギリスという国を意識するきっかけだったように思います。日本との違いを興味深く思い、音楽の世界の広さを感じた中学時代でした。

高校時代からはさらに洋楽を好んで聴くようになり、英語の歌を積極的に歌うようになりました。大学に入ってから、イギリスという国や文化に本格的に興味を持ち始め、いつか移住したいという欲望が高まりました。同時に、イギリスで歌うことに挑戦したい、ミュージカルの本場で舞台に立ちたい、という思いが強くなったことが、英語を本格的に学び始めたきっかけでした。

歯学部に通いながら「ミュージカルに出演するためにイギリスに移住する」という決意をしたのはなかなかな異端で、それを家族はもちろん周囲には公言していませんでした。そして時が経つにつれ、私の中で灯った炎は次第に勢いを増していきました。しかし、その目標を達するために必須となる英語を密かに一人で学び始めたものの、ノウハウもお金もない中で、どうしていくべきかを考える必要がありました。受験英語で培われた英語力というのはとてもフワフワしており、とにかく英語を話せるようになりたいと思った私は、見様見真似で話せそうなことをそれっぽく口に出すことから始めたように思います。

確かイギリス移住を密かに決意して間もなくの、大学1年生の時だったと思いますが、試しに TOEIC を受験してみたことがありました。それまでの学習はまったく TOEIC 向きではなかったこともあり、特に準備せずに受けた私の結果は確か450点くらいだったと記憶しています。試験対策をしていないとはいえ、大学生の平均が600点くらいだと考えるとかなり低いですよね。

学生生活の中で、音楽は1日中聞き続けるほどに生活の一部になり、英語で歌を歌うことも日課になっていたこともあり、歌を通して鍛えてきた発音やリンキングなどの分野には当時から少なからず自信を持っていたように思います。

そこから洋画、海外ドラマを貪るように見始めました。イギリスに行くつもりならイギリス英語を話せるようにならなきゃ、という思いから、イギリスの作品を多く見るようになり、イギリスのラジオを聴くようになり、ハリーポッターを今度は英語で何度も読みました。より自然で生きた英語にできるだけ多く触れることを意識し、使えそうなフレーズや表現を流れよく使えるようになるまで何度も何度も模倣し練習しました。

今読み返してみるとひどいものですが、ライティングの練習も兼ねて英語で長編小説を書き始めたり、スピーキングの練習も兼ねて一人二役でディスカッションを永遠とやったり、細かい発音矯正のために自分の声を録音して分析したり、努力はたくさんしたけれど、思い描いた夢に一歩一歩近づいている喜びと、どんどん話せることが増えていくことを楽しんでいた記憶が強いです。

学生時代に有り余るほどにあった時間を音楽や映画などの趣味の追求に費やしたり、夢に向けて英語の習得に努力したり、今思うとほぼ引きこもりで全然リア充ではなかったものの、それがあったからこそ今につながっているんだなと思います。ただ、独学で英語学習に励んでいたため、当時は英語で話せる相手はほとんどおらず、当然に実生活で英語を活用する機会もほとんどありませんでした。

街で見かける外国人に話しかける勇気などもなく、たまに運よく外国人と話す機会があった時には張り切って話そうとするものの、練習したものが実戦でうまくいかずに落ち込むことも多かったです。でも、その悔しさをバネに「次こそはうまく話せるように!」と反省を活かし、いつ来るか分からない次の機会に備えてさらに練習を重ねる。機会が訪れたらそれを逃さずに果敢にトライできるよう、機会が少なかったが故に、たまの機会をできる限り活かせるように日常的な準備に一所懸命励んでいたと思います。そんな学生時代でした。

(2)多忙な社会人生活での英語力磨き

6年間の学生時代を終えて社会人となるのですが、私の社会人生活は地方の中核病院における研修医という、鬼のように忙しく辛いものとして幕を開けました。今は研修医を取り巻く環境もだいぶ変わったと思いますが、当時はすごかった。1ヶ月の中で完全な休みは4日のみ、それ以外は毎日オンコールで、救急外来(ER)に口腔内のトラブルで来院したほぼすべての患者さんの対応をするために、真夜中でも遠慮なく同期や先輩から電話がかかってくる日々。

外来の初診対応から親知らずの抜歯などの小手術を中心とした通常業務に加えて、手術日には朝から夜遅くまで手術のサポートをしたり、上級医に付いて術後管理を学んだり、深夜にやっと帰って寝れると思った矢先にERから電話がかかってきて対応に向かったり、終わった頃には空が白んできているのに数時間後には通常の午前診療が開始するので結局まともに寝れない日が続いたり。。家に帰っても電話の着信に怯えながら1日中気が休まらない日々を過ごしていました。

そんな中で英語の勉強などまともにできるわけがなかったのですが、そこで僕を救ってくれたのが「音楽」でした。音楽は変わらず聞き続けていたため、辛い時も楽しい時も、常に音楽が支えになってくれました。英語の曲しか聴いていなかったことで、激務の中でも日常的に英語の刺激を入れることもできました。家で歌を口ずさむことも続けていたため、英語の口も鍛え続けることができました。

学生時代からの習慣で、常に頭の中では英語が飛び交っていたことと、英語に対する貪欲さは変わらなかったこともあり、多忙の生活の中でも英語で話すことや話したいことの準備は変わらずにできていたように思います。

たまに英語しか話せない患者さんがいるとなんとかコミュニケーションを取れるように頑張ったり、周りにも英語が話せるということが知られていくことで、時には他科のドクターから通訳のために呼ばれたりする機会も出てきました。日本語でもしたことがないのに、ICUに入院する循環器疾患の患者の病状説明をヨーロッパにいる家族に電話口でするように頼まれたこともあり、その時は流石に戸惑いましたが、同時に医者という高学歴を経ている人たちでも英語をまともに話せない人がこんなにも多いのかと驚いたのも事実でした。

たまの休みに好きなバンドの来日ツアーを観に行った際に、隣で楽しんでいた外国人とひょんなきっかけで仲良くなり、そこから外国人の交友関係が広がっていったこともありました。研修医の2年間を終えてからは少し時間的な余裕も出てきて、年数を重ねていくごとに英語を話す機会も少しずつ増やしていくことができました。

忙しい日々を過ごしながらも、英語に関しては音楽や映画に加えて、SNSが浸透し始めた流れに乗って自分の興味ある海外のアカウントを片っ端からフォローすることで自然に英語の記事や動画がフィードに流れてくる環境を作ることもできました。より英語が自分の生活の一部であると感じられる環境作りができたことが多忙な日々の英語力アップを後押しし、記事や動画などから自分が純粋に知りたい情報を得る傍ら、有用なインプットをすることができました。

使えそう/使いたい表現は引き続き使えるようになるまで練習し、独り言やたまに現れる実戦で活用する。そういった、日常に浸透させた実践的手法を基本として、日々英語に触れ続けていました。基本的に頭の中では常に英語で物事を考えるように意識していたこともあり、忙しい中でも着実に英語力を磨いていくことはできていたと思います。

(3)30歳の転機から、念願の渡英

病院での勤務が6年目を迎えた年に、それまでに院内で独自に開拓していた分野の発展と責任もあって半ば諦めていた渡英について、転機が訪れました。年数を重ねたことで研修医時代のような忙しさからは徐々に脱却し、少しずつ自分の時間を取ることができるようになりました。これからの人生について、長年抱いてきた夢、目標についても改めて考える機会が増えていました。また、その年は私が30歳になる年だったこともあり、自分の中で芽生えた「ここを逃したら次はないかも」という感覚が私の背中を押しました。そして「渡英しよう。」そう決めたのです。

そうと決まれば展開は早く、その年度末までの勤務で病院を離れることで話がまとまり、長年夢描いてきた渡英に向けての準備を開始しました。とはいえ、仕事を辞めることは思っている以上に大変で、特に自分が独自に進めていたことなどの引き継ぎにはかなり苦しまされました。そんな中で、渡英に向けて英語については留学や移住の可能性も踏まえてしっかりと提示できる形にしておきたいなと思い、その年の10月に初めて IELTS を受験しました。

一応、試験対策のため当時はかなり希少だった参考書を1冊購入し、一通り取り組んでから受験してみましたが、結果は overall 6.5(speaking は 6.0)でした。これからイギリスに体一つで乗り込む身として、一般的な海外の大学院の入学に必要とされるスコアをギリギリ獲得できていたことに安心したと同時に、自分の英語に少し自信を持てたという記憶があります。海外経験もなく、多忙な中で独学で習得した英語としては、なかなかいい結果だったのではないか、と思いました。

英語の準備はある程度できていたかもしれませんが、肝心のイギリスでミュージカル俳優になることについては全然準備ができていなかったと思います。なぜか自信だけはたっぷりあったのですが、コネもあてもなく、業界に対してはまったくの無知、未経験の状態で突っ込むことになるのが目に見えていました。別に日本でミュージカル活動や音楽活動をしていたというわけでもないので、どれほど大変なのかさえわからない。暗中模索は避けたいと思いながらも、結局どうすることもできず、事前にネットで検索して見つけた誰でも参加できる社会人向けの短期ミュージカル初心者コースに申し込むことだけして、気がつけば出発の日を迎えていました。

決意してから渡英に至るまでの怒涛の1年間を走り抜き、スーツケース2つだけを傍に、キャリアも当時のパートナーも何もかも、すべてを日本に置いて、私は単身イギリスに向かったのでした。

(4)夢にまで見たイギリス

渡英するにあたり、まずはどこに住むかという問題がありました。この点については、イギリスに住んでいた友人夫婦が前年にカタールに引っ越したことで持ち家のフラットが空いたままであると聞き、とりあえず落ち着くまでの数ヶ月、格安の家賃で運よく借りさせてもらえることができました。それもあり、渡英の直前に観光と友人との再会も兼ねてカタールのドーハを訪れ、鍵を預かり、事前に居住環境を確保して渡英することができたのです。

そして念願の渡英。僕が最初に住んだのは友人のフラットがあった中部のノーサンプトンという小さな街でした。『キンキーブーツ』というミュージカルが大好きだった私としては、その舞台であるこの街でミュージカル・ライフの幕を開けることができたため、期待と希望にあふれ、既にいい波に乗っていると一人興奮していました。

とはいえ、先にも触れたように、渡英後に決まっていることといえば週1のグループレッスンを8週間行うという短期ミュージカル初心者コースのみ。それ以外には何もない状態で来てしまったため、コースが始まってしばらくするまでは周りに話せる相手もおらず、一人で周囲を散策したり頻繁にロンドンにミュージカルを見に行ったりする、かなりのんびりした日々を過ごしていました。

そしてそのコースがとにかく楽しかった。やりたかったことに足を踏み入れることができたという興奮とともに、純粋に歌ったり踊ったりするのって楽しい!と再認識していました。次第に話せる人も増え、まだあまり英語に自信を持てなかったこともあり、圧倒されることも落ち込むことも多かったですが、着実に目標に向けて歩んでいたという記憶があります。

この時点で英語に関して感じたことは「まだまだだな」ということに尽きます。自分が思っているように話せないことが普通で、自分が知らない表現はまだまだたくさんあって、相手を理解しきれずに困ることも、住んでみないとわからない細かい英語の使い方などにおいても、日々是勉強でした。

8週間のコースを楽しみながらも、時間が有り余っているため、他にも同スクールが提供している演技コースや1日バレエ基礎コースなどを受けたり、ミュージカルコースの先生が歌の個人レッスンをやっていると知り、レッスンを受けるようになったり、徐々にできることを増やしていきました。今思うとよくやったな、と思いますが、渡英後2ヶ月もしない時点で、果敢にも有名なドラマ・スクールの入学オーディションを受験したりもしました。(もちろん落ちました)

最初の初心者コースが終わってから、今度は上のレベルのミュージカルコースに参加しました。そこでさらに交友関係も広がり、少しずつ英語だけで生きることにも慣れてきて、イギリスの日照時間が長い夏を楽しんで過ごしていました。そんなタイミングで、ミュージカルのオーディションを見つけました。運命に引き寄せられるように、迷わず申し込みをし、一次審査を通過し、リコールも突破し、晴れてそのミュージカルへの参加が決定。渡英後、4ヶ月のことでした。

ミュージカルのことについては別の記事で改めて書けるといいなと思っているので、ここではざっくりと触れるだけにしますが、その後はよき友人もでき、ミュージカルのリハーサルも始まり、アジア人であることの苦労や不安定な生活など、楽しいことばかりではなかったけれど、いろいろ苦悩しながらも1日1日を心に刻むように過ごしていました。

(5)英語だけで生きる努力

基本的にイギリスにいる間は日本語を極力排除しようとしていたので、日本人のコミュニティなどにも近寄ろうとはせず、日本人がその場にいても自分が日本人であることには触れずに英語でコミュニケーションを取るほどでした。英語で考え、メモなどもすべて英語で書き、英語で理解し、英語で話すことを徹底する。SNSなどでも日本人の友人や家族とのやりとりは最小限にしていたと思います。

渡英後半年ほど経ったタイミングで、ふと「どれくらい英語力が上がったのかな」と思い、約1年ぶりに2回目の IELTS を受験してみたのですが、結果は overall 7.0 (speaking は 7.0) でした。前回よりも speaking は 1.0 上がっていました。話すことに慣れてきたことの現れと思いますが、驚いたのは reading が 8.5 だったことでした。少しは努力が身になってきているのかな、と感じることができ、嬉しかったです。

歌のレッスンはリハーサルが始まっても受け続けていたのですが、途中から演技の個人レッスンも受けるようになりました。ドラマ・スクールのオーディションには歌に加えてモノローグを準備する必要があるところが多く、演技力に加えてそのモノローグに真実味を持たせるためには、発音や訛り、イントネーションについてさらに追求していく必要がありました。イギリス国内にも数多に存在する訛りを正確に認識し、自分が目指す発音を確認してから、それに基づく発声、構音、共鳴部位などをさらに意識するようになりました。

いろいろ意識しながらでも、まだ実践が足りないと感じていたので、たまには無理していろいろなアクティビティに参加していろんな人と関わりを持ってみたり、今振り返ってみると「英語でだけで生きる」ための努力を精一杯やっていたと思います。

一方で、そうやって英語に徹して生活していると、面白いもので徐々に日本語が出なくなってくるんですよね。たまに日本語で話す機会があると、以前よりも流暢さが落ち、言葉が出てこないことがよくありました。「言語は常に刺激を与えて使ってあげないと母国語でも錆びるんだな」と身をもって実感した瞬間でした。母国語でもそうなのに、第二言語である英語を話せるようになりたいのであれば、英語の刺激は絶やしてはならない。これはしみじみ感じたところです。

それまでの英語学習は実践的かつ実用的なアプローチを中心としてきて、それは間違ってなかったと思うのですが、どうしても「なんとなく使っている感」は否めなかった、というのも事実かなと思います。なので、自分の発言に文法的かつ文化的な裏付けが足りず、なかなか自信を持ちにくかったのだろうと今になって思います。それに気付いたのは日本に帰ってきてからだったのですが、イギリスにいる間、英語面では常に悔しさをバネに必死に磨き続けている日々でした。

(6)帰国の決意と帰国後の英語力向上

最初のミュージカル出演が決定してから、2ヶ月ほどのリハーサルを経て、遂に夢に描いていた舞台に立つことができました。1週間の公演を終えた時、図らずも涙が出ました。夢が叶ったと感じたからです。

その後も他の作品へのオーディションを重ね、その先のキャリアも考えてドラマ・スクールへの挑戦も続けていました。ありがたいことに1つのドラマ・スクールに合格することができたのですが、3つ目のミュージカル出演が決まったタイミングで、その先が見えなくなりました。

理由はさまざまありました。一番大きかったのはビザという根本的な問題とそれに紐づく経済的問題でしたが、それとは別に、自分が夢見た業界において、中に入ってから見える景色と見通しは自分が思い描いていたものとだいぶ違った、というのも大きな理由でした。最終的には、このまま迷いの中に進み続けるより、一旦立ち止まってみる、という選択をしたのです。

3つ目のミュージカル公演を終えた翌日、少し後ろ髪を引かれながらも日本に帰国しました。その後は半ば燃え尽き症候群のように、目的を失って、不毛な日々が続きました。葛藤や混乱を経て、とりあえず歯医者としてバイトを始めたことで徐々に足元が安定してくるのですが、その過程で改めて自分の英語と落ち着いて向き合う時間をたっぷり取ることができました。

自分の英語を振り返り、落ち着いて発音や訛りを考えたり、どのような英語を話すべきか、どのような英語を話したいか、どのようなことを伝えられるようになりたいのか、じっくりと考える時間が取れたことで、改めて自分の英語を客観視することができたと思います。

そこに文法的、文化的な知識の肉付けをしていったり、それまで「なんとなく使っている」という感覚を、知識や経験をもとに意図的に使えるスキルに磨いていきました。そして、さらに深いコミュニケーションができるように、友人らとの会話で実践を重ねていくこともできました。

よく「海外に住んだら自然に英語が上達する」という類のことを耳にしますが、私はそんなことはないと思っています。厳密には、英語力の向上はあっても、それには限りがあると思っています。仕事など、英語を学ぶこと以上に打ち込むべきことがある中で海外に住んでいる状況では、日々の忙しさに追われ、インプットできることも流れてしまうことが多く、効率的な英語力向上が可能な環境ではないと感じます。実践力は鍛えられても、本質的に英語力を向上させようとすると、やはり落ち着いて自分の英語と向き合い、意識的な学習時間を取る必要があるからです。

結果的に、私はイギリスから帰国してからの方が、より英語を磨くことができたと思っています。オーディションや日々のプレッシャーなどなく、純粋に英語を楽しんで話すこと、ふわふわしていた知識の足を地に付けさせ根を生やすこと、そして、絶えず英語を自分自身の言語だと位置付けることができたこともあり、帰国後1年ほど経ってからこれまたふと思い立って受けてみた3回目の IELTS では、 overall 7.5 を獲得し speaking では 8.5 というスコアを得ることができました。

(7)そして英語を仕事に

その後、さらに自分の世界を広げるために、文字通り世界中を旅して周ろうと思い立ち、再び歯医者の職を離れたのですが、ちょうどそのタイミングでコロナ禍に突入してしまい、数年間を想定したバックパッカー計画がすべて白紙になりました。日本を出る日を待ち続ける無職の期間を半年ほど過ごしてから「こりゃ無理だ」と気付き、新しく仕事を始めるべく選んだのが、歯医者ではなく英語だったのです。

コーチングや英語教育、オンライン英会話など、英語に関わる仕事をいろいろ経験し、最終的に自分が落ち着いたのがコーチングでした。英語を話せるようになりたい人を一人の経験者としてサポートし、押し上げることができる仕事って素直に楽しいです。

この仕事を始めてから、英語についてかつてないほど知識を身につけ、経験を積み、自分の英語力はさらに向上していると感じます。支える、教える立場として TEFT(英語を第一言語としない人たちに英語を外国語として教える資格)も取得しました。この仕事は自分に合っているな、と感じることができるのも、今まで英語をがんばって習得してきたからこそだと思っています。

英語学習において、大切なことはたくさんあります。そして学習法は十人十色。私が実践してきた学習法があなたに合うとは限りませんが、いかなる学習法においても共通して言えることがあります。それは私のメインページにも書いている「とにかく継続すること」、「自分の英語を客観視すること」、そして「インプットや練習を含めた事前準備を徹底すること」です。

これから本気で英語学習に挑もうとされている方、今まで何度も挫折してきた方、なぜ英語を話せるようになりたいかという動機や目標を再確認し、英語やその文化に興味を持ち、努力を楽しんでいきましょう。その過程で私にお手伝いできることがあれば、ぜひお声がけいただければ幸いです。ここまでお読みくださった方、ありがとうございました。少しでも気になったら、ご連絡お待ちしております。

本気で英語を話せるようになりたい人に